初めて横田基地に行ったのは1975年か1976年か記憶に残っていない・・・しかし横田基地に足しげく通い始めたのは、1976年からである。国道沿いに撮影ポイントを探して辿り着いた”横田ドライブイン”。こんな食事が出来て、しかも屋上は横田基地が展望できる見学デッキのように作られている素晴らしいスポットがあるとは!

最初は判らなかったが、此処は正に米軍機を追っているマニア達が集まるスポットの一つでもあったのだ。当然の成り行きではあるが、同じ趣味を持つ者同士、直ぐに話が弾んで情報交換もすることになった。地元のマニアとも交流が進む中、彼らが殆ど見向きもしない米軍機が何種類かある事が判った。その代表格がこのページでご紹介するC-141Aだったのだ。彼ら地元マニア諸氏は、C-141Aの事を「いも」と呼んでいた。最初は、何で「いも」なのか理解できなかったが、地元マニア君曰く「いものように胴体長いでしょ。 それに「いも」のように撮れるから、飽きちゃってるの、そんな感じ・・」 当時の横田基地エプロンには、このC-141Aがずらりと並び、毎日のように飛び廻っていたから、いつ来ても殆ど撮れないことはないし、どの機体を見ても同じ塗装で代わり映えが無い為、その気持ちはよく理解できた。つまり、イモのように長いからと言う以外に、どこにでもいるダサいイモ兄ちゃん、イモ姉ちゃん的感覚でC-141Aを呼んでいるようだった。横田基地に関してはC-39等もマニアからは鹿とされていたが、「イモ」と呼ばれるのはこのC-141Aだけであった。そんな可哀そうなC-141Aであったが、偶にしか横田基地に来る事が出来ない私は、この「イモ」をいつも有難くファインダーに収めていた。(2022/11月 記)
 
Wings
見た目も殆ど変わらない塗装であり、部隊マークの見分けがつかない機体が多いので、どのように整理しようかと考えた挙句、シリアルの古い順に展示して行くことにした。1ページ辺り、写真10枚~15枚程度を基準にしたいと思う。
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↑ こうして見るとC-141は、実にスマートで見栄えも良いジェット輸送機だった。胴体が細い関係でスピードは巡航速度900kを超える能力を持っていたが、大型車両を積めない為、その後に出てくる大型輸送機は皆C-5(巡航速度830k程度)のような太い胴体の機が主流になった。
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↑1979年6月 嘉手納基地に着陸するC-141A/64-0634。ノートン空軍基地を本拠地とした第63空輸航空団所属の機体。63rd MAWは、1967年からC-141Aを使用してB型まで含み1993年までC-141を使用した。
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↑横田基地に着陸するC-141A/64-0632。トラビス空軍基地を本拠地とした第60空輸航空団所属の機体。
↑ 松野氏が福岡空港で撮影されたC-141A/64-0625
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1963年会計年度で発注されたC-141Aは、16機。機数が少ないが故に、この会計年度発注の”3”を頭にするC-141Aの日本への飛来も少なかったようだ。写真は機首に書かれた所属部隊名で、62nd MAWは、マッコード空軍基地を本拠地とする第60空輸航空団。62nd MAWは、1966年からC-141Aを使用開始している。
↑ 1976年横田基地ドライブイン前をタキシーするC-141A/63-8082 量産13号機に当たる機体。
↑松野氏が嘉手納基地で撮影されたC-141A/64-0653
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↑ 1977年嘉手納基地 R/W05に着陸するC-141A/64-0614。この写真から下は、1964年会計年度で発注された機体であるが、1964年度は何と45機もこの大型輸送機を発注している。アメリカの底力を感じる数字である。
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↑ 1977年嘉手納基地 R/W23に着陸するC-141A/63-8081 量産12号機に当たる機体。
↑横田基地に着陸するC-141B/64-0617。ノートン空軍基地を本拠地とした第63空輸航空団所属の機体。この機体は後にB型に改造され、砂漠の盾作戦にも参加している。